ヒューダ・ガリアはパレスチナに生まれ生活している、10歳の少女。彼女はとても
質素な家庭に育った、父親は農夫として働いて家族を食べさせ、彼らに必要なものを
賄う。低就業率と貧困のもと、彼女の暮らしはかなり厳しいものであった。彼女はし
ばしば発砲の音や爆撃の音を聞きながら眠りにつき、また目を覚ました。そのような
生活条件のもと、彼女の父親は彼女の必要なもの全てや彼女が夢見ること、世界中の
誰もがするようなこと、例えば海辺へ行くことなどを叶えてやることはできなかっ
た。それは年の終わりそして試験のシーズン、彼女の父親はもし彼女が試験で良い成
績を修めたら、海辺へ泳ぎに連れて行くと約束した。彼はただ、そんな厳しい条件の
もとで暮らす彼女を励まし、勉強してもらいたいと望んだのである。
ヒューダの成績表は彼女の父親を喜ばせるには十分なものだった。そして彼女の父親
は約束通り、彼女と家族を海辺へ連れて行った。彼女は嬉しくてたまらず、夜通し翌
日の準備をしていた。朝が来ると、彼女はいてもたってもいられなかった、というの
も海辺へ行くなど、彼らの貧困さを考えると通常とてもできることではなかったから
だ。ヒューダと家族は海辺へ到着し、ヒューダは海で泳ぎ始め彼女の両親はトウモロ
コシを茹でながら彼女が泳ぐのを見ていたところへ、2基のロケット弾が両親のテー
ブルへ飛んで来た。ヒューダは海から飛び出し家族を捜し見た、そして彼女が見たも
のは、彼女の母親、二人の妹たちと8ヶ月の弟の死体だった。彼らはみんな木っ端み
じんとなっていた。彼女は大きなショックを受け泣きに泣いた。そして彼女は今見た
ことを話そうと父親を探しに歩き、トウモロコシの載った皿の横で、浜辺に死んで横
たわる父親を見つけた。彼女ができることはただ、自分自身に砂をかけ服を噛みちぎ
りながら泣き叫び、世界に自分を見て記録するよう訴えかけることだけだった。彼女
の訴えの一つは、’何が起きているか写真を撮って、写真を撮って’だった。
ヒューダを襲ったこの大きなショックの後、弟一人を除いて家族7人はみんな死に、
彼女は独りぼっち。今、ヒューダはたった一人で暮らし、彼女の死んだ家族の映像は
決して彼女の記憶から消え去ることはない。そして爆撃の音を発砲の音もまた、一日
中、一晩中彼女をそっとしておいてはくれない。