ジェイク・バーンズはヒモか?それとも絶望的なロマンチストか?第一次世界大戦という経験は、 人々の生活を根底から変えてしまった。人々は孤独や空虚感に苛まれ、生きる気力を失くした。 人間同士の付き合いは深い感情も情熱もない薄っぺらなものとなってしまった。アーネスト・ヘ ミングウェイは『日もまた昇る』においてこのような当時の空気をあますことなく描き出す。登 場人物の一人、ジェイク・バーンズは、戦後の世界で行き場を失い、その精神や肉体に取り除く ことのできない印を刻んだ苦難の年月をそれでもまだ思い起こさずにはいられない男の典型であ る。ジェイクは新聞社で働く若いアメリカ人。戦時中に受けた傷によって彼は不能となった。彼 は、第一次世界大戦さなかにある病院で知り合ったブレットに関心を抱いていた。不幸にも、彼 はその傷のため彼女を抱くことができない。彼女との関係において、ジェイクは自分の男として の価値を疑っている。彼はいつもブレットの言いなりになっている。ジェイクは彼女を無条件に 愛している。彼が不能だからといって彼が駄目な人間ということにはならない。私が思うに、不 能であることがジェイクを人間的に高めている。このような境遇に置かれた彼は、自分の感情に まっすぐ向き合うからだ。彼は直接傷について語ることはないが、それがどのような境遇なのか を読者が読んでとれるような場面がいくつもある。彼は自分の男らしさについてはひどく頼りな く感じている。コーン・ブレットはジェイクをヒモと呼んだが、彼は不愉快だった。彼がそう呼 ばれたのは、ロメロに自分の代わりにブレットの相手になって欲しいと思っていたからだ。こん な形で、ジェイクはブレットの「ヒモ」をする。ロメロは戦争で戦ったわけではないが、闘牛に おいて毎日死と接している。だからジェイクは彼は本当の男だという。ジェイクとブレットは恋 人になることはできない。しかし二人は多くの時間をいっしょに過ごす。ジェイクにとってはつ らいことだ。彼にとってブレットの存在は喜びでもあり苦しみでもあるから。さらにつらいのは 、彼女の存在が、自分はセックスのできない不能の身なのだということを忘れずにはおかせない ということだ。ハンディキャップを通して本当の男らしさを示さねばならないという彼の問題。 彼の愛する人が不能となった自分の肉体のことを口にした時、ジェイクはどうしようもない苦し みを味わう。ジェイクとブレットの関係はプラトニックであり、ジェイクはブレットの人生に登 場した多くの男たちを見てきた。一般的に言って、ジェイク・バーンズはヒモというよりも絶望 的なロマンチストと呼ぶべきだろう。彼は大きな悩みを抱えていて、誰もそれを助けることはで きない。ジェイクは自分の男らしさを証明しようといろんな方法で試みるが、どうにもうまくい かない。戦争に従事した人々の中には多くの傷や怪我を負った者たちもいるが、彼らは尊敬の念をもって迎えられる。軽口の種にされるジェイクの傷については同じことがいえない。
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